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闘魂 サバイバル生活者のブログ

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東京政府の正体 その2

東京政府の正体 その2


これまた晴耕雨読さんのコピペです。

戦前歴史を鳥瞰してみて、非常にイヤな点と好ましい点とが共存していると思えます。この気持ちを書いてみましょう。

(戊辰戦争と朝鮮政府への恫喝について)
国際金融資本の奴隷としての行動です。情けない。

どうも出発点からして、おかしかったとしか思えません。

国際金融資本-国債-近代工業-国債-貧困-植民地-軍閥

大日本帝国(を乗っ取った長州藩閥)は考えが甘かった。

大英帝国と同じことをしても許されると思っていました。

数千年の興亡の中から精錬されてきた寄生者の行動は、長州藩閥に真似ができる程度のものではありません。


戦前歴史の反省と救済-悪魔との契約? 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 7 月 21 日

(会津藩について)
彼らの抵抗に共感しました。たとえ100%負けが決まっていた(軍事的には)無駄な抵抗であったとしても、これは避けるべき失策ではありません。「植民地化」を見抜いて、このような「抵抗」を行った会津武士は偉いです。彼らを一方的に踏みつぶした藩閥は一体何なんでしょう。

(植民地を必要とした経済原理について)
投資するなら日本国内にしてほしいものです。賃金を払いなさい。貧民を見下げるんじゃありません。同じ臣民です(腹の中では別種の人類だと思っていたんでしょうね)。貧民に賃金を払い、スラムに金を回せば、国内で消費財、そしてやがて耐久消費財が売れるようになってきます。


(法律体系について)
この方面は私は弱いんですが、わかる範囲で一言しておきましょう。

民法はフランスからの輸入品だそうですが、それにしてはおかしい。債権中心主義になっています。おかしいよ。だから債権者の立場がやたら強く、貧民の増大に寄与していたはずです。貧民の増大は、国内市場の縮小をもたらし、植民地への資本、人間の流出をまねきます。

この方面は戦後かなり改善されましたが、まだまだ見直すべきですね。

憲法について。明治憲法の運用はたこさんの投稿を読んで少しは頭に入りましたが、難しいのでパス。

(植民地拡張サイクルについて)
貧民を大量造成し、植民地に送り込む社会機構になっていました。

避妊は勧められず、生めよ増やせよでやたらに赤ちゃんを増やしましたが、農村の生産力は限られ、都市での雇用も少ないわけです。新規投資は植民地に向かっています。
だから、日本中で、あまり金のなさそうな地域では、必ず「○○○開拓団」の石碑が立っています。

(経済支配層について)
彼らにとって大日本帝国の臣民は何だったんでしょうか?
あらゆる局面において、臣民はコストであり、材料であり、戦闘力であったといえます。
だから内地への投資はほどほどにし、低コストの生産基地を植民地に作り、内地の食い詰めた人間と現地人を雇用し、生産物を欧米に輸出するという行動をとりました。

臣民を「育成するべき市場」と見る発想が基本的に欠けていたように見えます。
ここが最重要な部分だと見ています。


(大日本帝国の臣民について)
この状況下でよく頑張ったものだと感心します。

この一方で、特に昭和期における民衆の洗脳にはぞっとしますし、国策に対して、あまりにも素直すぎると感じます。

この二つは楯の両面なのかもしれません。

素直さが裏目に出ると危険です。現在も裏目に出ているように思えてなりません。

(悪魔との契約)
大東亜戦争は以上の帰結だと見ています。

国内市場が行き詰まったからと言って、外国に進出し、権益を拡大する行為は危険なことです。

これは、欧米国際金融資本の陰謀にひっかかったものですが、しかしもとを正せば、明治維新-倒幕期の藩閥のコントロールまで行き着くようです。

「悪魔」との契約は絵空事では(たぶん)ありません。大日本帝国は出発時期に悪魔と契約していました。悪魔と契約すれば、ある期間は上昇昇進することができます。しかしその末路は悲惨です。その運命は放物線的に落下していきます。

こういう事態を避けることは、ある意味で簡単だと思います。

悪魔と契約すれば、直ちに「濡れ事(汚い仕事)」が回ってきます。あるいは汚い仕事を率先してやる人間が契約に預かれます。

他国への進出侵略などやめて、目の前の貧民を助ければ良いのです。そのような精神に悪魔が踏み込む余地はまったくなく、繁栄を享受できると信じています。

「濡れ事」を引き受けて金が儲ったとしても、最後は丸裸にされます(戦前の財閥は解体の憂き目を見ました)。

濡れ事をすれば精神が腐敗し、金も最後は全部とられます。そんないやなことは、無理してまでやらなければ良いのです。



ここ一ヶ月のすみちゃんの投稿は、全く私の期待を裏切りませんでした。幅広い知識をバックグラウンドにした切れ味ある論旨と心地よいリズム感ある文章を、アメリカや日本の滞在先からわくわくしながら読ませてもらいました。

さらにここ数日の山本・笹川・児玉の戦前の動きに関しては、全く知らなかった内容であり、目からウロコ。第二次大戦の戦史に疎い私にもよく理解できました。

一方で、主として7月に投稿された幕末・明治時代の状況については、正確で豊富な知識の裏づけを提示することは私にはできないものの、ほぼ私の幕末・明治に関して抱いている理解・イメージと同様でした。

あわせて、幕末・明治の日本近代社会のスタート時の表に出てこない種々の事情(蓋をされた臭い物)が、それ以降の日本の底流にずーと流れつづけ、その臭い物が今になって再び現代の日本人に影響を及ぼしているのではないか、という問題意識のようなものにも共感しました。


ブログで展開される晴耕雨読さんやすみちゃんのやりとりっていったいなに?学校ではまったく教えられなかった歴史、しかも現在までダイレクトに直結している歴史で、正直驚いています。新聞の歴史コラムでは味わえない興奮です。

晴耕雨読さんところからコピペです。

すみちゃんの語る「誰も教えてくれなかった近代日本史」日露戦争編(補講) 投稿者 リーマン 日時 2003 年 8 月 27 日

むしろ私の場合、「現在日本の抱えている問題の芽の多くは、ほとんど明治時代にもそっくりそのままあったのではないか」という認識は、読書を通してではなく、日常の実務の中から持つようになったことがきっかけです。

そういった観点からは、「現在の日本を凝視するためには、現在ではあまり表に出ていない幕末・明治以降の近代の日本の実情を知っておく必要がある」という問題は、私にとって単なるBookishな教養の範疇にとどまりません。

私は、ここに投稿をされている方々のようなたいした読書量もなく、子供の頃は単純に日教組系の日本の歴史を習って素直に信じ、社会人になってからは、司馬遼太郎の幕末明治ものを事実と混同して読み、単純に「これらの本のおかげで左翼史観から脱出できた。本当によかったナア。」と思っていた、まさに日本列島に今でもフツーに存在しているであろうプチオヤジです。

それが、たまたまロンドンに住むことがきっかけで、これまで語られなかったヨーロッパと日本の裏側を日本の外から見る機会に恵まれただけにすぎません。

そのような一小人の立場か言わせて頂くと、すみちゃんが披露された幕末・明治のアウトラインに関する理解は、現在の日本においては、決して未だ通説などではなく、全くもって異端でありましょう。

おそらく日常生活においては、健全な組織人・家庭人として過ごされているすみちゃんにそんな事がわからないハズは、ない。

すみちゃんの持つ「幕末・明治の時代の捉え方に潜む問題意識と現在(及び近未来)の日本が抱える問題とは実は密接につながっている」ということは、おそらくすみちゃんにとっては自明なことであるにもかかわらず、幕末明治の時代認識に関しては、「わりと常識な部類に属する事柄であり、みなさんの意外な反応に驚いた」一方で、日を改めて書かれた投稿において披露された「近未来の日本に関して抱える不安感」に関しては、「私の妄想程度に受け止めて置いてください」と書かれるすみちゃんの筆にやや一貫しないものを感じました。(多分すみちゃんの恥じらいの表現だと受け止めています。)

ここ140年間に渡って語られてこなかった日本のある部分についての認識を深めていくほど、すみちゃんの「将来の日本への予感」は、益々確信に近いものとしてご自分の内面に迫ってきているはずですよね。

以上、すみちゃんが書かれた多くの投稿のおもしろさからすれば、どうでもよいことではありますが、、、、、、ちょっとカラんでみました。

話は、がらっと変わって、すみちゃんが、第二次大戦の海軍の裏の部分を暴かれたのですが、それに関連して、彼らがその卵を生みつけた時期はいつ頃か、そして卵はどう育っていったか、という話です。

私は、海軍創設時から産み付けられたと思っています。30年後の日露戦争、70年後の第二次大戦に備えて、日本海軍の頭脳に卵を産み付け、その後ゆっくりと確実に孵化させ、育てていった、と理解しています。

私は、戦史には疎いのですが、日露戦争時の日本海海戦において、東郷平八郎が立っていたブリッジのその部屋の中に終始東郷に実質的な指示を与えていた(仕切っていた?)イギリス海軍士官がいたと思っています。

また、秋山何某という天才が海戦のプランを練ったことになっていますが、 実際は留学先で「今度日本で戦争が起きたら我々が練ったプランをキチンと日本語に翻訳して日本海軍の作戦とするのですよ。」と教え込まれただけのシロモノだったとも思っています。

日露戦争の海軍の総司令官を誰にするのかを決定するにあたり、当時の海軍トップであった山本権兵衛は、当時周囲からそれと目されていた「日高」をはずして、退役ま近であった「東郷」を据えます。

司馬の本には、それらしい理由が挙げられていますが、本当のところは、イギリス海軍から、「イギリス留学経験モアリ、英語デ直接話ガデキル(即ち言う事を良く聞く)東郷サンヲ推薦シマス」とでも山本に申し入れがあったのでしょう。

或いは山本自身そう思っていたと思います。(日高にもイギリス留学経験があったかどうかは知りません)

秋山何某も、戦争後ストレスが原因で精神的な病気にかかってしまった、ということになっていますが、自分の立てたプランは本当はMade in UKなのに、実情を隠したまま戦後に持ち上げられすぎた自分に対する居心地の悪さが原因なのではないか、と想像したりしています。

(ついでに言えば、「バルチック艦隊が対馬海峡を回るのか、太平洋津軽海峡経由で来るのかわからなかったが、沖縄の一漁民からの通報がきっかけでいち早く敵艦隊の動きを察知し、日本海軍の適切な対応が可能になった)、というお話も(そのような事実は確かにあったのかもしれませんが)、イギリス海軍が事前に日本海軍にバルチック艦隊の動向を教えてくれていたものです。)

証拠も参照文献も挙げることは私にはできませんが、間違いないと断言できます。

あえて理由を挙げるとすれば、「それがイギリス人なんだ。実践ケンカ空手でイギリス人と日常ケンカをしてきている私には直感・実感としてわかるんだ。本だけあれこれ読んでいて知ったことを言うタイプの人にはけっしてわからないことなんだ。」ということになります。

戦艦三笠という大きな船を思い浮かべてください。頑丈そうな鋼鉄でできた船体。表面上は紛れもなく「日本」。しかしそのブリッジ(頭脳部分)には、ひっそりと、そしてしっかりとイギリス人が寄生していたのです。

ハリーポッター1巻に関して紹介させていただいた、「悪の帝王ボルデモートが住んでいた場所(自分の部下の頭の後ろに住んでおり、日頃はターバンを巻いて隠していた)」と、(発想等が)そっくりですよね。

イギリス人からみれば、「数十年前のアヘン戦争では、本当にカッコ悪いみっともない戦争をしたけれど、今回の日露戦争は、今後の老年期に入りかけたイギリスにとっていいモデルケースになるであろう」なんていっていたのかもしれません。

「証拠がなければ信用できな~い」という感想を持つ想像力・認識力の乏しい人には「どうぞお好きなように。そうやってこれからも幸せに騙され、操られつづけてください」というしかありません。

以上すみちゃんが語りつぐ「誰も教えてくれなかった近代日本史」の「明治幕末編」と「第二次大戦編」の間を埋めるエピソードの一つとして、、、

すみちゃんからは、「その程度のことはジョウシキ!」といわれてしまいそうですが。


リーマンさんのいうようにこの手の歴史は学校やテキストには乗っからない歴史だというのなら納得です。ぼくだけが知らなかったというわけではないということですよね。国際金融資本を軸にした歴史認識がむこうのスタンダードなんでしょうか。むこうの事情に疎いのでそんなことを考えてしまいます。


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